大宮大社は、陸平貝塚公園内に隣接する神社です。
大宮大社は、一般的には大宮神社と呼ばれ多くの人々にひたしまれて居ます。
大宮大社には、拝む前に手と口を清めるための手水場(ちょうずば)はあるが、いつも水が無く『干上がっている』状態でした。それは、井戸、水道、電気が無かったからです。
2012/06より井戸、電気がはじめて引かれ水が出る様になりました。
現在大宮大社は老朽化の為、2012/06より改修工事が行われています。
大宮大社は、陸平貝塚公園には属さず、個人運営の大社で運営はきわめて厳しい物となっています。
大宮大社は、旧信太庄安中二十四ヶ村の総鎮守で、御祭神は天照皇大神、日本武尊、天太玉命の三柱が祀られています。
伝承としては白雉元(650)年の創立を伝え、生田長者満盛が氏神として創建し、伊勢大社の分霊を奉斎したこと、その後奈良時代に、その姓名が安中という地名の由来になったとも言われる安倍仲成が、朝廷の勅許を得て正式に勧請し、安中二十四ヶ村の総鎮守になったことなどが伝えられています。
記録によると、天承二(1575)年と、元禄四(1691)年に社殿の再建が行なわれています。その後、大正九(1920)年の台風により社殿が倒壊したため、翌十年に再建されていますが、現在でも古材を含め再建前の旧状をよく留めているといわれます。現存の本殿は桁行三間、梁間三間の本体に回縁が設けられた規模の大きなもので、村内最大を誇ります。特に本殿の妻飾りは独創的なもので虹梁の唐草分文や頭貫木鼻・組物の拳鼻などの彫刻は、元禄時代特有のものです。このような建築細部の様式から、江戸時代に常陸国を中心に活動し、成田山新勝寺の三重塔などをつくった我が国を代表する宮大工・桜井氏一門の作事によると考えられています。
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